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merry-go-round
2013-06-25 Tue 22:05
たとえば、小さな虫の世界に我々の予想のつかない豊かな感情があり、 
人間の世界よりも素晴らしい世界があると仮定する。 
ヒトには感受できない様々な景色、鮮やかな光線、喜びにあふれた感情。 
さらには、喜怒哀楽とは違う、 感情とよぶことさえできない、 
人間の理解を超えた未知の心の動き。 
虫でなくてもいい、たとえば……石ころ。 
そこには"石ころの世界”があるかもしれない。 

何度も聞いているはずの曲にふと感動することや、
新しい靴を履いたときのうれしい気分、 
干したばかりの布団のやさしい柔らかさや、
雨が降ったあとの懐かしい匂い、 
こういったちょっとした機微を、虫にはわからないだろうと信じ 
それらを僕らは人間の特権として考えてないだろうか。 
ひょっとしたら、虫たちはそのすべてを、僕ら以上に知っているかもしれない。 
人間にわからないだけなのかもしれない。 

極論ではあるけれども、 
これらの仮定(空想?)をだれが確信をもって否定できるだろう? 
人間は元来高慢な生き物らしい。 
コペルニクス、ダーウィン、フロイト・・・・・・。
彼らは自分本位な人類を暴いてきた。 
そして、暴けば暴くほどに人類は世界の脇役でしかないことに気づかされてきた。 
ぼくらが理解し、ましてや制御できることは世界のごくごく一部分でしかない。 

宮澤賢治をおもいだす。 
農業技師でもあった宮澤賢治は、化学が自然に蹂躙されゆくのを何度も体験した。 
強大な暴力を持つ自然を知り、同時に自然の美しさへの憧憬をもつ。 
そんな詩人に次の作品がある。 

   青空の果ての果て、水素さえあまりの希薄な気圏の上に 
   「わたくしは世界の一切である。世界は移ろう青い夢の影である」 
   などこのようなことすらも、あまりに甘くて考えられぬ、 
   永久で透明な生物の群れが棲む。 


文字通りの高度に、我々の忖度を微塵もゆるさない生物がいるとする。 
かれらは何を考えているのだろうか?そもそも何か考えているのだろうか? 
わからない。 
わからないことはわからない。 
孔子もソクラテスもたぶんそういうことを言っていた。 
まず、そこからはじめる。 
わかったふりしたってしょうがない。
そうするとまた見えてくる世界がある。

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